追悼式が中止になったり縮小したりするなかで、それでも多くの人が、あの頃を振り返ったり新たな思いを胸にしたりされたと思います。
9年経つということで、なんとなく報道が小さくなっていくのは悪いことではないんだろうけど、小さくなっていくことに少し寂しさを感じた私ですが、、
そんな私が2004年に大阪のFM802でデビューし、神戸を訪れた時のこと。
三宮を歩いていて、何気なく言ったんですよね。
「神戸って、背の高い建物あんまりないんだね」と。
そしたら、一緒にいた(というか神戸を案内してくれた)女性ディレクターさんが
「せやな。まぁ、震災でこの辺の建物みんな倒れてしもたからなぁ。」
私「・・・ごめん。」
彼女「全然ええで〜。こういうのも関西知ることやしなぁ。」
たぶん、こんな会話だったと思います。悪気はもちろんなかったんですけど、一瞬で後悔した一言でした。
阪神淡路大震災のときは高校生でまだ青森に住んでいたので、とても遠くの出来事に感じていたのかなぁ。
高速道路が崩壊した映像とか、テレビで見て、本当に衝撃的だったんですけどね・・・。
で、それが、2004年の春。地震から9年経ったころでした。
私が訪れたときはまだ静かな印象だった神戸市長田区は、今は高層ビルが立ち並び、マンションも多く、2020年1月の時点で震災前より住居人口が増えたんだそうです。25年経ちましたからね。すごい。
でも、地域商業を支える「昼間人口」が、震災前よりも3割減少していて、それは震災前にあったお店が被災したことでお店を閉じたり、多くの費用をかけた商業施設がそれほど賑わっていなかったりで、復興再開発は完了したものの、街はまだまだ活気付いたとは言えない、ということなんだそうです。
そう考えると「復興」って、やはり簡単ではありません。
東北の震災は、まだ前半の途中です。
あせらなくてよいのです。でも、私たちは、毎年忘れずにいなければ、とも思います。
今年もうひとつ思ったことは「メディアが伝えていくことの重要性」を若いスタッフたちにどう教えていくかということ。
今20代前半のスタッフたちは、9年前は中学生や小学生だった子たちなので、私の世代とは感覚が違うんですよね。
もしかしたら学校で習ったり、防災について話し合ったりしたこともあるのかなぁ・・・。
悲しい思いをさせたいわけではないので、あのときの状況を勉強しなさい!とはとても言えませんが、私たちが生きている間に起こった実際の出来事なので、そのときに放送局としてどういう対応をしたかも含めて知ってほしいな〜と思う。
どれだけ一生懸命行動をして、募金をしても、感じてしまう無力感。
でも、ラジオがあったことで、情報を得られるだけでなく、心の拠り所にもなっていたと思います。
私自身、リスナーさんからのメッセージに日々励まされていました。
あのときにラジオが再評価され、防災グッズの必需品にもなりました。
今はほぼ無くなりましたが、臨時のコミュ二ティラジオの必要性も知ることができました。
脱原発をテーマとした「NO NUKES」や太陽光の電気でライブをする「中津川THE SOLAT BUDOKAN」なども、どんどん参加してみてほしいです。
ん〜ということは・・・自分ももっとがんばんないといけないんだなぁ。笑
今年読んだ本はこちら「震災風俗嬢」。
2016年に刊行された単行本が昨年12月に文庫本で出ていたんですね。
これも今だから言える話なんですが、震災後に風俗店が繁盛しているっていう話は、震災で繋がった宮城県の方から聞いていて知っていたことではありました。
なので、なんでだろうって思っていたんですが、この本でだいたいわかりました。
震災を裏側から知ることができます。
風俗に通う男性が良いか悪いかは女性それぞれの判断だとして、家族を震災で亡くした男性客たちのどこにも行き場のない気持ちは、女性の私でも読んでいて切なくなりました。
誤解を恐れずに言えば、震災のときに避難所で起きた性暴力なんかに比べると(比べてもいけないんですが)、職業として成り立っている分、健全であるし、あのとき多くの需要があったことも納得できます。
でも、働いていた女の子たちも被災者であり、なかには精神的ストレスで病気になっちゃったりした方も多かったようなので、ここでの日々も本当にしんどいものだったと思います。それでも頑張って続けている人もいっぱいいるわけですしね。
ひとりひとりの震災があるんだなぁ、と思います。
なかなかお出かけが難しい今日この頃ですが、楽しい週末をお過ごし下さい(*^_^*)









